和尚のミニ法話

光照寺の和尚によるミニ法話をお届けします。

和尚様和尚様2

2024/01/25

感応道交(かんのうどうこう)するとき

当寺にお参りされる方にこのような方がおられます。お経中じっと本尊様を見つめ、しばらくすると視線を畳に落としてじっと目を閉じる。この繰り返しをされる方です。
何か心配事や不安がおありなのかと思い、「お困りの様子ですが・・・」と声掛けをしますと「いや、妻の病気が早く良くなるようにと思って。」とおっしゃいました。仏頼みをされていたのでしょうか。
数年前に宗務庁から届いたポスターの添え書きにこうあります。
『死のうと思うことはないが 生きていく力がなくなるときがある そんなときお寺を訪ね わたしはひとり 仏陀の前に坐ってくる 力わき明日を思うこころが 出てくるまで坐ってくる』(写真:会津弘安寺の十一面観音像のポスター)
修証義第三章に『此帰依仏法僧の功徳、必ず感応道交するとき成就するなり』とあります。感応道交とは衆生(私たち)の感に仏が応じてそれが交わることを言います。私たちの思いや願いや感性に仏が応えてキャッチボールが行われることです。
最初にお話しした方は、本尊様と心のキャッチボールをされていたのです。どんなボールを投げてどんなボールがかえってきたのでしょう。表情がすぐれない時は、取れないボールだったのかなあなどと思いながら、この方の前で読経しています。

 

2024/01/22

地蔵様の頭巾を縫う会 のお知らせ

お知らせです。
このところの毎年恒例となった「地蔵様の頭巾を縫う会」を2月8日(木)に行います。時間は9時30分から。午前中で終わる予定です。
野の地蔵様の頭巾と前掛けは風雨で傷み、色あせています。新しいものにお召替えしてもらいたいので、どうぞ針仕事の利く方、縫っていただけませんか。布の裁断は家内が事前にしておきますし道具は一式用意しておきます。参加費はお茶菓子代として300円です。当日ご協力いただける方は電話でお知らせください。
いつもは地域の御婦人方十数人でわいわい楽しくやっていますが、どなたでも歓迎します。どうぞおいでください。

写真:地蔵様コレクションより 笠地蔵
   一句詠みました。『野仏に雪 幼子の手の赤し』(良秀)


 

2024/01/21

ロウバイのこと

昨日20日は大寒。これから立春までが最も寒いとされる時期です。厳冬とか厳寒という言葉が時候の挨拶となるのでしょうが、実際はそんなに寒くはなく今日は(雪ではなく)雨でした。地球温暖化のせいなのか季節感が薄れてきています。数日前、TVニュースで新潟市の方がロウバイの花の写真を投稿されていました。当寺のロウバイも蕾が大きく黄色になってきていました。この調子ですと春にならない前に(寒中に)咲くかもしれません。
ロウバイは蠟梅と書きます。梅の中でも最も早く咲きます。香りが良く家内のお気に入りの花です。「桜きる馬鹿梅きらぬ馬鹿」というように強く剪定してやればそこから小枝が伸びてたくさんの花芽をつけます。まっすぐに伸びた太い枝には花芽はつきません。以前、かわいがりすぎて剪定しなかったら花がほとんど咲かず、蠟梅ならぬ狼狽してしまいました。(オヤジギャグですみません)

今日の坐禅会の参禅者は9人。初めての方が2人。先週初めての方も続けておいででした。少しずつですがお仲間が増えておりうれしいです。皆さん両足を組む結跏趺坐は難しいようで、半跏趺坐あるいはあぐらです。それで結構です。坐禅は習禅に非ず。「まず坐ってみること」「目的達成のための道具にしないこと」を大切にしている坐禅会です。

写真:私の地蔵様コレクションから。(地蔵堂への廊下にコレクションが多数あります。)

2024/01/20

四恩に報ず

阪神淡路大震災から29年という17日のTVニュースで、神戸の若者(主に大学生)が能登地震の募金活動をしていました。彼らの中の一人はインタビューに答えて、「阪神淡路大震災は生まれる前のことで記憶にはないけど、両親や近所の人が全国の方からお世話になったんだよと言っているのを思い出して、僕らも何か恩返しをしたいと思ったからです。」と話していました。自分が受けた恩を返すというのはその通りですし善行です。が、自分が受けていない恩でも受けたも同然と考え恩返しをするという彼らの発想にはびっくりし頭の下がる思いでした。「親の恩は子が返す。祖先の恩は現世代が返す。」ということですね。そう考えると私も返すべき恩は多々あります。7.13の水害の時、中越地震の時、大雪被害の時・・・これらは私も受けた恩ですが、両親や祖父母、先祖様の苦労があって今こうしていると思えば、返すべき恩は無数となり、毎日の暮らしはそのまま恩返しの暮らしなのだと思い至らされます。

「四恩に報ず」の四恩とは、大乗本生心地観経には、①父母の恩 ②衆生の恩 ③国王の恩 ④三宝の恩 とありますが、私の師匠である先住様は法事等の法話で「親や先祖の恩、社会の皆様の恩、天地自然の恩、仏教をいただける恩」と言い換えていました。私も引き継いでそう言っています。災害の時ほど四恩に報ずることの大事さを痛感させられます。「毎日の暮らしは恩返しの暮らし」なのです。

写真:六地蔵 (本文とは直接関係ありません。)

2024/01/19

親に似てきた

「ハ、ハ、ハクション」とくしゃみをすると続けて何回も「ハックション」と連発するようになりました。一度始まると10回以上続きます。治まるまで相当かかります。山内の者は皆嫌がって近くに寄り付きません。止めようにも止まらないのですから致し方ありません。
そう言えば、父親である先住(せんじゅう:先代住職のこと)もこの癖を持っていて、子である私は近寄らないばかりでなく嫌っていました。とても汚らしく感じたものです。しかし、くしゃみをするたびに私も親そっくりになってきたなあと痛感しています。
一般的に、歳をとると親に似てくると言いますが、本当にそうだと思います。たとえ母親似の男の方であってもシルバー世代に入ると「じいさまによく似てきたなあ」と思います。姿や形がよく似てくるだけでなく言い方や考え方まで似てくるのです。不思議なものですね。亡父、亡母のことは常日頃あまり考えないのですが年齢とともに思い出すことが多くなったように感じます。
「子、親を忘るとも、親、子を忘るることなし」と祖先供養の辞の一節にありますが若い時はそうかもしれませんが、歳をとると(親の年齢に近くなると)子はもちろん親も忘るることなしになるのです。この一節は「父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)」をもとにして述べられた言葉のようです。興味のある方は「父母恩重経」を読んでみてください。ネットで調べると見つかります。

写真:永代供養墓の背後に見える地すべり対策工事完了の様子。アンカーを新たに打ち込んであります。(本文とは関係ありません)