和尚のミニ法話

光照寺の和尚によるミニ法話をお届けします。

和尚様和尚様2

2024/01/20

四恩に報ず

阪神淡路大震災から29年という17日のTVニュースで、神戸の若者(主に大学生)が能登地震の募金活動をしていました。彼らの中の一人はインタビューに答えて、「阪神淡路大震災は生まれる前のことで記憶にはないけど、両親や近所の人が全国の方からお世話になったんだよと言っているのを思い出して、僕らも何か恩返しをしたいと思ったからです。」と話していました。自分が受けた恩を返すというのはその通りですし善行です。が、自分が受けていない恩でも受けたも同然と考え恩返しをするという彼らの発想にはびっくりし頭の下がる思いでした。「親の恩は子が返す。祖先の恩は現世代が返す。」ということですね。そう考えると私も返すべき恩は多々あります。7.13の水害の時、中越地震の時、大雪被害の時・・・これらは私も受けた恩ですが、両親や祖父母、先祖様の苦労があって今こうしていると思えば、返すべき恩は無数となり、毎日の暮らしはそのまま恩返しの暮らしなのだと思い至らされます。

「四恩に報ず」の四恩とは、大乗本生心地観経には、①父母の恩 ②衆生の恩 ③国王の恩 ④三宝の恩 とありますが、私の師匠である先住様は法事等の法話で「親や先祖の恩、社会の皆様の恩、天地自然の恩、仏教をいただける恩」と言い換えていました。私も引き継いでそう言っています。災害の時ほど四恩に報ずることの大事さを痛感させられます。「毎日の暮らしは恩返しの暮らし」なのです。

写真:六地蔵 (本文とは直接関係ありません。)

2024/01/19

親に似てきた

「ハ、ハ、ハクション」とくしゃみをすると続けて何回も「ハックション」と連発するようになりました。一度始まると10回以上続きます。治まるまで相当かかります。山内の者は皆嫌がって近くに寄り付きません。止めようにも止まらないのですから致し方ありません。
そう言えば、父親である先住(せんじゅう:先代住職のこと)もこの癖を持っていて、子である私は近寄らないばかりでなく嫌っていました。とても汚らしく感じたものです。しかし、くしゃみをするたびに私も親そっくりになってきたなあと痛感しています。
一般的に、歳をとると親に似てくると言いますが、本当にそうだと思います。たとえ母親似の男の方であってもシルバー世代に入ると「じいさまによく似てきたなあ」と思います。姿や形がよく似てくるだけでなく言い方や考え方まで似てくるのです。不思議なものですね。亡父、亡母のことは常日頃あまり考えないのですが年齢とともに思い出すことが多くなったように感じます。
「子、親を忘るとも、親、子を忘るることなし」と祖先供養の辞の一節にありますが若い時はそうかもしれませんが、歳をとると(親の年齢に近くなると)子はもちろん親も忘るることなしになるのです。この一節は「父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)」をもとにして述べられた言葉のようです。興味のある方は「父母恩重経」を読んでみてください。ネットで調べると見つかります。

写真:永代供養墓の背後に見える地すべり対策工事完了の様子。アンカーを新たに打ち込んであります。(本文とは関係ありません)

2024/01/17

どこかで春が生まれてる って早や!

♪どこかで春が生まれてる ♪どこかで水が流れ出す ♪どこかで雲雀が鳴いている ♪どこかで芽の出る音がする ♪山の三月 ♪東風吹いて ♪どこかで春が生まれてる

この童謡は三月の山の風景ですよね。。ところが、杉の木で囲まれた当寺で最近どうも気になっているのが、杉の葉の先端が黄色っぽく見えるのです。ん?と近寄ってみると写真のように(写真をアップにしてよく見てください)スギ花粉の花粉胞が出来ているのです。これが黄色の正体。まだ一月小正月ですよ。いくらなんでも早すぎませんか。寒い日もありますがやはり暖冬なんですね。(私は花粉症ではありませんが)花粉症の皆さん!今年は早いですよ。対策準備はお早めに。
季節がどんどん前倒しになってきているようです。 フキノトウもで出ているとか・・・。

2024/01/16

地蔵様も寒かろうて

今日は寒い一日でした。朝、目を覚まして外を見ると雪が舞い上がって先が見えません。地吹雪というか屋根雪吹雪の状況でした。強烈な冬型で風が強かったのでこういう日は寒いのです。小正月の頃はだいたい荒れるという口伝の通りですね。寒いといっても冬なのですからそれが当たり前(真理)で、それを受け入れてどう過ごすか(真理とどう一体になるか)ということなのですが。
『春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪冴えてすずしかりけり』道元禅師の和歌です。「本来の面目」というタイトルの和歌集の中の一首です。大自然の本来の面目は「春は花・・・・」なのですからその中に暮らす私の本来の面目は如何に。
良寛和尚は道元禅師のこの歌を引用して、『形見とて 何を残さん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉』と詠みました。

写真:「風雪や 面目示す 野の地蔵」(方丈)

 

2024/01/15

大鏧(だいけい)が打てない

地震で傾いた韋駄天様を直そうと脚立に上がったのですが、脚立の(開き防止)ストッパーを片方しか掛けなかったので、ずるずると開いてバランスを崩して転倒しました。その時左肩に逆側に力がかかり嫌な感じの痛みが走りました。そしてそのまま転倒。脚立はグニャっと曲がり使い物になりません。左腕は上がらず無理に上げようとすると激痛が。ドクターには診てもらっていませんが靱帯かなあという感じです(靱帯をやったことないのでよくわかりませんが)。右手が大丈夫なので何とか日常生活はできていますが、困ったことの一つに、高い位置にある鏧子(けいす)が打てません。そこで小鏧を代わりに使っていますが、何とも間の抜けた諷経になっています。さらには袈裟を一人で着けられません。早く治るといいのですが。頭を打ったり骨折とかでないのが韋駄天様の御加護かと。
道具はきちんと安全に使いましょう。皆さんもどうぞお気をつけてください。