遅ればせながら、この度の地震によって亡くなられた方々のご冥福を深くお祈り申し上げます。また被災されました多くの方々にお見舞いを申し上げます。さらに、行方が不明な方々が一刻も早く見つかり無事救出されますよう切に祈っております。
当地方も震度5強ということで結構揺れました。当寺の被害状況は、開山堂に安置してある位牌が8柱倒れ落ちました。その内の2つは折れたり外れたりの破損が見られました。また、白壁の隅がポロポロ欠け落ちたり、食器棚の器やグラスが数枚割れました。幸いなことに、山内皆無事であります。ご心配いただいた方々、どうもありがとうございました。ご安心ください。
写真は永平寺山傘会のカレンダーです。1,2月の写真には永平寺貫主南沢道人猊下の揮毫で「万物生光輝(ばんもつこうきをしょうず)」とあります。元日の朝はこの言葉のような希望の光に満ちた朝でありましたが、夕刻にこの度のような大禍が襲ってくるとは。翌二日は海保機とJAL機の衝突という悲劇が続きました。今年はどうなってしまうんだろうか。
今の私にできることは、とりあえず国家安寧、万民安泰、天地平和・・・を朝課中に特に懇ろに願うことです。義援金には進んで協力したいと思っております。
新潟市西区の液状化による被害も甚大です。ニュースの画面に、断水の地域にあって井戸水が出るお宅が必要な方に水を分けておられました。奥様は「うちだけ普通の生活をしていたらバチがあたる。水か無くなっても(枯渇しても)他の方々と同じになるだけですから。」と涙ながらにお話しされていました。
自分が少しでも役に立てれば。何か考えてみます。
令和6年、新春を寿ぎ皆様のご多幸をお祈りいたします。
拙僧のこのブログ、今年もお付き合いください。よろしくお願いいたします。年末から定時に閲覧カウンターをチェックしています。毎日平均で50人前後の方から見ていただいているようです。ありがたいことです。この数字が更新する励みになっております。
さて、坐り納めの12月31日の坐禅会後の茶話会での話題の中から。「坐禅をしていると音に敏感になる」という話があり、鳥の音、雨の音、戸を開ける音、車の止まった音・・・・。「いろんな音があるがそれぞれの音を味わうことができるようになった」とSさん。「除夜の鐘が近所のうるさいという苦情から、昼や夕方に時間移動したり取り止めたりしているお寺があるとか」とCさん。「大梵鐘の音は気持ちが落ち着いて好きだけどねえ」とMさん。「あの音をうるさいというのだからどうなっているんだろうね」とNさん。結局は受け取る側の問題で、美音にも雑音にもなるのだということで話は一区切りつきました。「雑草と言う名の草はない」と言うのと同じで、「雑音という名の音はない」ということなのでしょう。音そのものを楽しんだり味わったりしたいものですが、その心の余裕が足りてないのでしょうね。坐禅中はその余裕を持てますよ。(足が痛くてそれどころでないという時もありますが・・・)
写真:元日の本堂正面
ここ数日更新が滞っていました。数日間に感じたことを徒然に・・・
20日から三日間降り続いた雪は、最深時には50㎝にもなりました。毎朝夕に雪かき作務をしていました。駐車場は機械除雪を1回お願いしましたが、除雪する後から降り積もります。裏山工事の方々の手作業除雪や車の出入りで何とか駐車できる状態でした。そんな中の24日の坐禅会。参禅者は少ないんだろうなという私の予想を裏切ってレギュラー陣6人がおいでになりました。「日曜の朝は習慣になっているので」とか「お寺に来るのが楽しみで」とか「自分の修行ですから」とかの声。私は彼らを少し見くびっていました。ごめんなさい。彼らは立派な求道者です。
年末の大事な時にプリンターが故障しました。大急ぎで修理を依頼すると、年末年始はメーカーも休みで、状態によっては1月かかるかもと言われました。近所の檀家さんにUSBを渡して印刷してもらおうと思っています。(今もこの原稿を打っていたら突然再起動になってしまったし。再度打ち直ししています。)災難は突然やってきます。リスク管理は大事ですがリカバリーの方法を実行する力も大事だと痛感しています。
22日は冬至でした。日の長さが最も短くなる日。陰が極まって陽に転じる日ということから、冬至を目出度い日という捉えもあるようで、道元禅師も「冬至大吉」とした法語を残しておられます。今日で畳の目6つ分の日が長くなりました。少しずつ少しずつですね。
隣家のお父さんが山から青竹をを切ってこられました。正月の準備です。当寺も準備を始めねばと、少し気ぜわしく感じています。
写真;僧形文殊菩薩で「聖僧様(しょうそうさま)」と言われています。僧堂に祀られ坐禅修行者を護る仏さまです。
寺同士の手紙のやり取りでは、その文言にかなり気を遣います。丁寧語、謙譲語、尊敬語など普段使わないような言葉が多々登場します。
以前S寺様からこのような案内文をいただきました。
『拝啓 ・・・(時候の挨拶)・・・ 陳者卑山儀 本年は教区の○○忌当番を拝命するにあたり、下記の差定で○○忌を営弁致したく、ご法務多瑞の折柄誠に恐縮至極乍ら御随喜御焼香賜りたく御案内申し上げます。本来ならば拝登の上御願い申しあぐるべき処略儀乍ら本書を以て伏してお願い申し上げます 敬白』
いかがですか。凄い文面でしょ。でも、このくらいがお寺間では普通で当たり前の手紙なのです。一般の方にはちょっとどうかと思われるでしょうが、感覚的にはやりすぎですよね。こういう事の積み重ねで、僧侶が自分は学がある、才があると勘違いして、段々と威張り気味になってくるのかなあと思います。お寺は敷居が高いと思われる所以、遠因の一つなのかなあとも思います。
かと言って、あまりにも簡単で手抜きされるのもどうかと思います。先日、ある会合の案内を「今言ったから手紙はいいでしょ。」と主催者に言われました。大事な会合なんだからそんなに手抜きしないでくれとお願いしたら、じゃあメールかラインでいいですかと言われ困惑しました。
丁度いい伝え方って難しいですね。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」、「帯に短くたすきに長し」そんな感じです。
写真:雪が降る前の工事の様子 アンカーを打ち込んでいます。今は雪があるのでちょっと大変そうです。
昨日の日曜日は、朝6時から坐禅会(参禅者は6名)。10時から護持会の決算役員会。いりいろ多岐にわたって話題や質問がでましたが、三役提出の議案は可決。檀家の皆様には後日お届けします。
坐禅会の時は小雨模様でしたが、役員会が終わる頃はうっすらと白くなっていました。午後から雪がぼさぼさと降り始め、今朝は15センチ位の積雪でした。朝課を省いて今冬初の雪かきをしました。水雪というのか水分をたっぷりと含んだ重たい雪でしたので疲れる作務でした。
いよいよ雪国の生活の始まりです。法要で言えば、法要開始を告げる殿鐘(でんしょう)の打出しが鳴ったようなものですね。打出しは、中声・中声・小声・大声と打ちます。この後第一会、第二会、第三会と続き、導師の上殿となっていきます。天気予報では今週はずっと雪マークが出ています。これが第一会でしょうかね。まだまだ先は長そうです。
写真でお気づきのように、本堂屋根の落雪が危険ですので雪の時期は本堂からの入堂はできません。庫裏の玄関からお入りください。また、早々に門松が設置されました。ますがたクラブ(総合型地域クラブ)親子門松づくり活動があり主宰のHさんがお寺用に特別に作ってくださいました。毎年のことです。ありがとうございました。