♪どこかで春が生まれてる ♪どこかで水が流れ出す ♪どこかで雲雀が鳴いている ♪どこかで芽の出る音がする ♪山の三月 ♪東風吹いて ♪どこかで春が生まれてる
この童謡は三月の山の風景ですよね。。ところが、杉の木で囲まれた当寺で最近どうも気になっているのが、杉の葉の先端が黄色っぽく見えるのです。ん?と近寄ってみると写真のように(写真をアップにしてよく見てください)スギ花粉の花粉胞が出来ているのです。これが黄色の正体。まだ一月小正月ですよ。いくらなんでも早すぎませんか。寒い日もありますがやはり暖冬なんですね。(私は花粉症ではありませんが)花粉症の皆さん!今年は早いですよ。対策準備はお早めに。
季節がどんどん前倒しになってきているようです。 フキノトウもで出ているとか・・・。
今日は寒い一日でした。朝、目を覚まして外を見ると雪が舞い上がって先が見えません。地吹雪というか屋根雪吹雪の状況でした。強烈な冬型で風が強かったのでこういう日は寒いのです。小正月の頃はだいたい荒れるという口伝の通りですね。寒いといっても冬なのですからそれが当たり前(真理)で、それを受け入れてどう過ごすか(真理とどう一体になるか)ということなのですが。
『春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪冴えてすずしかりけり』道元禅師の和歌です。「本来の面目」というタイトルの和歌集の中の一首です。大自然の本来の面目は「春は花・・・・」なのですからその中に暮らす私の本来の面目は如何に。
良寛和尚は道元禅師のこの歌を引用して、『形見とて 何を残さん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉』と詠みました。
写真:「風雪や 面目示す 野の地蔵」(方丈)
地震で傾いた韋駄天様を直そうと脚立に上がったのですが、脚立の(開き防止)ストッパーを片方しか掛けなかったので、ずるずると開いてバランスを崩して転倒しました。その時左肩に逆側に力がかかり嫌な感じの痛みが走りました。そしてそのまま転倒。脚立はグニャっと曲がり使い物になりません。左腕は上がらず無理に上げようとすると激痛が。ドクターには診てもらっていませんが靱帯かなあという感じです(靱帯をやったことないのでよくわかりませんが)。右手が大丈夫なので何とか日常生活はできていますが、困ったことの一つに、高い位置にある鏧子(けいす)が打てません。そこで小鏧を代わりに使っていますが、何とも間の抜けた諷経になっています。さらには袈裟を一人で着けられません。早く治るといいのですが。頭を打ったり骨折とかでないのが韋駄天様の御加護かと。
道具はきちんと安全に使いましょう。皆さんもどうぞお気をつけてください。
先日、朝4時に電話が鳴りました。告げ(どなたかの死去の連絡)かと身構えましたがそうでなく、「今朝のお勤めは何時からですか」という問い合わせでした。私が朝課を毎日行っていることをご存じの方が朝課に参詣したいのでとのことでした。5時半ですよとお答えしましたが、4時振鈴だと思ってそのまま朝起きしました。果たして、その方は時間においでになり、私の諷経を聞いておられましたが途中で自分の亡き妻の名も読み上げてくれとおっしゃいますので開山堂での祠堂諷経の回向中に読み上げをいたしました。ありがたがっていただきお帰りになりました。
さすがに4時の電話は困りますので、そのように申しましたら、行きたい時は前日の夕方に連絡をくださることになりました。
朝課の参詣は大いに結構なことです。(体調の関係や寝坊などでたまに休む時もありますが、少しハードルが上がりました。)
今の季節、朝課は5時半です。3月以降は5時になります。どうぞ電話なしでおいでください。
写真:地震で傾いた韋駄天様。ローソク、線香などの具足を置く台があったのですが、私の不注意で外れてしまいました。事の顛末は次回で。
年末に私どもの住宅の薪ストーブの調子が悪くなり三が日明けまで使いませんでした。空気の吸い込みが悪く、明らかに不完全燃焼の症状でした。これは煙突の詰まりだろうと判断できたので、火災につながる前に使用を自重したのです。5日の日にストーブ屋さんから来てもらい、煙突掃除をしてもらいました。「こんなの初めて」とストーブ屋さんが言うほど大量のススが煙突から出てきました。煙突の先端にもスス溜りがあって、ここにも大量のススが。薪ストーブを購入したときからずっと、「乾いた薪を使いなさい。時に高温にしてススを燃やしなさい。そうすれば10年は煙突掃除不要です。」と言われていて、わかってはいたのですがケチ根性が働いて低温でトロトロと燃やしたり、待ちきれずに乾燥不十分の杉材ばかり使っていました。今回再び乾燥と高温について指導を受けた次第です。掃除完了後のストーブはすこぶる快調で、バーナーのようにゴーという音がするほどの燃え方で、そういえば最初はこうだったなと久しぶりの感覚が戻ってきました。
お釈迦様の弟子のパンタカ(周利槃特ともいう)という人は、愚鈍で自分の名さえ覚えられないほどでした。お釈迦様は一本のほうきを渡して「掃除をしながら『塵(ちり)を払い、垢(あか)を除かん』と唱えよと言いました。パンタカは毎日毎日ほうきを手にし唱えていました。何年も経ったとき、掃除すべきは自分の心に積もった塵と垢だと気づき、それを捨て去ることで悟りを開きました。
心の塵と垢とは、長年の間に作り上げてしまった『偏った見方や思い込み、執着する心』のことです。
煙突の詰まり汚れは外から見えません。心の塵と垢も外から見えません。汚れたままにしておくとストーブ同様、不完全燃焼の人生となるかもしれません。煙道火災を起こさぬうちに今すぐお手入れを。
写真:塵を払い垢を除いた薪ストーブ 快調です。