中国宋代の詩人、蘇東坡は「柳緑(やなぎはみどり)花紅(はなはくれない)真面目(しんめんもく)」と詠みました。「春になれば柳の木は緑色の葉を揺らし、紅色に咲いた花は美しいばかりである。これぞ飾らない自然美である。この風景を本当の美しさとして感じよう。」というのです。作為のない真実とは「あるがままの姿に徹して生きる」ということに他ならないのです。「柳緑 花紅」という言葉は禅では好んで使われます。写真のように、当寺でも本堂の襖に大きく書されています。ありふれた日常の風景を美しいと感じ、自然界のすべてに支えられ生かされていることに気が付けば、幸せは手の中にある。
とは言うものの・・・・。わがままで執着心から抜け出せない凡夫(の私)は、坐禅を組んでも一向にその心境に達しません。まあそんなに簡単にいけば苦労はないのですが。坐禅会では、坐る姿がイコール仏の姿だとの宗旨に励まされている私です。
そんな気持ちで一首。『坐すれども 来し方のなお 離れざり 柳は緑 花は紅』 (駄首失礼:良秀)