和尚のミニ法話

2025/01/10

「只管除雪」という言い方の可否は・・・

強い寒波の影響で急の積雪となり、ここ数日除雪作業に明け暮れています。
写真のように「除雪注意」のコーンも頭部が少し見えるだけです。
今朝は朝課を取りやめて6時から9時まで3時間も除雪作業(雪作務)をしました。昨日は朝2時間午後1時間、一昨日も朝と午後にそれぞれ1時間の雪作務でした。
「作務は動の坐禅」とよく言われます。確かにスノーダンプを手に「ただひたすらに排雪する」行為ですから、只管打坐ならぬ只管除雪です。今朝のように3時間も作務していると、次第に何も考えずただ雪のみを見ているという感覚に陥ります。
「只管打坐」は坐禅にその効果も目的も求めず、問題解決の手段ともせずただひたすらに坐るということですが、よく考えてみれば雪作務は目的があり作業効果も期待していますし、歩道や車道の確保という手段でもあります。さすがに只管という接頭語をつけるにははばかられます。しかし、今朝の作務後は坐禅後の感覚に似ているような気がしました。