新年あけましておめでとうございます。旧年中は皆様よりひとかたならぬご厚情を賜りましてありがとうございました。お陰様で、山内一同、無事健康に過ごしております。
今年も皆様に仏天のご加護があり、良き年となりますように祈念しております。
今年度の光照寺の行持予定については、トップページの「行持案内」に載せてありますのでご参考にしてください。どうぞ、お寺参りにおいでください。
年末年始は結構ハードな日々でした。年末の大雪で境内の樹木に被害がありました。鐘楼堂わきのハナモモの木が根から折れてしまいました。このブログ4月24日の記事中の写真のように春にとても美しい花を咲かせていましたのにとても残念です。倒れたままでは邪魔になるので、檀家のOさんが早速きれいに切り倒してくださいました。それから、本堂前の桜の大木の大きな枝が裂けてしまいました。雪解けを待って裂けたところから切るしかなさそうです。これもまた残念な出来事でした。
31日の「除夜の鐘」の時分に雪がボサボサと降ってきました。鐘つきにおいでになった方々もお困りの様子でした、何とか最後まで鐘を打ち終え、お焚き上げもできたのですが、翌朝の雪かきは避けられないこととなりました。午前0時半に打ち終え、後片付け等して1時半就寝。5時振鈴、5時半朝課及び大般若理趣分転読なのですが、略朝課にして上座さんと雪かきをしました。その後、近所のUさんが大型機械で駐車場の除雪にきてくださいました。本当にありがたかったです。おかげで年始においでになる方々の便が良かったようです。
一日は矢田の方々とたくさんお酒をいただきました。二日は、お供と上座さんと一緒に年始回りでたくさん歩き、直会でこれまたたくさんいただきました。三日は私一人で三条・燕・見附等を年始の挨拶に回りました。疲れましたので晩酌もおいしかったです。
という具合で、正月三ケ日が過ぎようやく日常が戻ってきました。
今年もゆるーく更新していきますので、よろしくお付き合いください。
写真は、十六善神の掛軸です。大般若用に本尊様の前に掛けました。
私の常用の経本「曹洞宗日課経大全」の中に、『坐禅の十徳』として次の十の項目が記されています。
1.邪念が起こらぬ 2.慈悲心が起る 3.外誘を受けぬ 4.物に拘らぬ 5.智慧が出る 6.五官が静まる 7.忍耐力が出る 8.心が清くなる 9.物に驚かぬ 10.信仰が深まる
うーん、坐禅をした結果そうなるというのでしょうか。私はたまにしか坐を組まないので、とてもそうはなりません。特に9の「物に驚かぬ」。私なんぞはかえって五官が敏感になって、ちょっとした物音にもどきっとしてしまいますが・・・。この十徳のうち一つでも身に付くようになるまで坐禅をしなさいということかな。(年明けから座禅会を週一で開きます。おいでください。)
ところで、新潟日報紙12月13日の文化面に次のような記事がありました。田上町出身で臨済宗大徳寺塔頭松源寺の住持である泉田宗健老師のエッセーです。
『(前略) ある年の大徳寺専門僧堂でのことであった。接心も始まって4,5日過ぎた朝3時ころの坐禅中、突然庫裡や本堂の火災報知器が鳴りわたり、間もなくサイレンの音もけたたましく、消防車が数台、真っ暗な境内に走り込んで来た。しかし、禅堂で坐禅をしている三十数名の雲水(修行僧)は、誰一人としてピクリともしない。泰然自若、外の出来事からは全く離れ、内なる心は乱れず、無心、深い禅定(精神統一)に入っていたのである。
あとで判明したことであるが、警報機の誤作動によるものであった。もし、本当に火事であったならば、古い木造建築でもあり、火の回りは早く、焼死をまぬがれなかったかもしれない。 (後略)』
「ホンマかいな」とも思いますが本当なのでしょう。
臨済禅はいざしらず曹洞禅は余計なことは考えずに坐ることだけに集中です。
写真は、12月8日接心坐禅中の私と上座さん。背ぼんこ(猫背のこと)ですな。
先日、葬儀のため東京へ行ってきました。雪国越後と違って、晴れ渡る青空の関東は別世界でした。こんなに天気が違うんじゃ人間の気質や考え方も違うのももっともだと感じました。
東京の葬儀屋さんと打ち合わせをしている中で、「所変われば・・・」で、私たちと違うことがたくさんあって戸惑いました。その中で、私が最も違和感を覚えたのは、「先生」と呼ばれたことでした。教師や医師、代議士などは先生でしょうが、坊さんははたして「先生」なのでしょうか。火葬場の係員からも先生と呼ばれました。
「皆さんはどうして私を先生と呼ぶのですか」と葬儀屋さんに聞いてみました。
「呼んではいけませんか?」
「いやいや、坊主が先生と呼ばれるなんて思っても見ませんでしたので不思議な感覚です。」
「では、ご当地ではどのように呼ばれるのですか」
「『和尚さん』とか『ご住職さん』とか『お寺さま』とかですね。曹洞宗では『方丈さま』ですし真宗では『ご院主さま』とか・・・・」
「そうですか。私どもは普段からそうお呼びしているものですから考えたこともなかったですけれど・・・。住職なのか副住職なのか、和尚さんなのか小僧さんなのか、間違うと失礼なので『先生』なのでしょうかね。」
どうも解せませんでした。
『郷に入っては郷に従え』ですから、言われるままにしてきましたが、どうもしっくりいきません。
写真は、12月25日の本堂前です。正月は本堂から出入りできないでしょうね。
12月2日。お寒うございます。師走に入って寒波が到来しています。今まで暖かい日が多かったような気がしますが、昨日と比べて10℃も下がった今日は、寒さがこたえます。また風も強く、時おりアラレ交じりの雨が打ち付けています。
写真は今日の11時頃の本堂前です。屋根の下は白くなっています。「いよいよ来たな」という感じです。
寒い日の朝課は、プッツン!しないように気をつけなければなりませんね。毎朝5時半から6時45分まで朝課を勤めていますが、本堂は寒いです。地蔵堂の方から隙間風がピュウーと吹き込んできます。
朝課を始めるとすぐの頃合に、新聞屋さんが配達に来ます。まだ真っ暗なので懐中電灯の光が彼の到着を知らせてくれます。たまに私がゆっくりしていると、彼の方が早く来ることがあります。彼が来ないうちに木魚をたたき始めたいという密かな対抗心を燃やしています。もちろん彼は知りませんが。
以前彼に、「今日は配達が遅くなって、お経を聞くことができませんでした。」と言われたことがあるもんですから・・・・。 勝手に一人で戦っています。うーん、朝から煩悩の塊りですな。困ったもんです。
皆さん、寒さにお気をつけください。
紅葉の季節です。庫裡の寺庭のもみじが真っ赤になり見頃です。(「今月の予定」の写真)
本堂前の桜の古木の見頃はとうに過ぎ、散り終わりの様子です。例年よりも赤くなっているように感じます。
この時期の作務は、もっぱら落ち葉掃きです。写真は、今日の落ち葉です。昨日きれいに掃いたのに今日はもうこれだけ落ちました。風もなく穏やかな一日でしたのにこの分量です。掃いた後からパラパラと散っています。全部落ち終わらなければ、掃き作務も終わりはありませんね。
ある檀家さんが言われました。「雪かきと同じだ。しても後から後から降ってくるし、しなければどんどん溜まるし。」 そうですね。でも、雪は日が差せば溶けますが落ち葉は溶けません・・・。
口説いていないで、作務そのものを楽しむことが肝要でしょうか。「人間修養としての作務」などというおおげさなものでなく、作務そのものに浸かりきる、という感じでしょう。