和尚のミニ法話

2015/02/13

布施というは貪らざるなり①

「衆生を利益すというは四枚の般若あり、一つには布施、二つには愛語、三つには利行、四つには同事、・・・」(修証義第四章) この四つを「四摂法(ししょうぼう)」と言い、道元禅師はこれを菩薩行としてとりわけ重視されました。
布施についてのお話しをします。「布施というは貪(むさぼ)らざるなり」。むさぼらないということ、つまり欲心のないことであります。あれもこれも、みんなおれのものとばかりにガツガツしないということです。あれも食べたい、これも食べたい、人のものを奪っても自分のものにしたい。そんなガッついた人になりなさんなということです。では、どうすればそうならずにすむのでしょう。それは、人に施すことです。自分のものを少し分けて他の人に差し上げることです。独り占めしないで分け与えなさいということです。人から物をもらっても、お礼を言わない人がいます。お中元でもお歳暮でも、夕食のおすそ分けでも、「どうも」とか「ありがとう」の一言だけですませる方がいます。あげた方は「おいしかった」とか「いい味付けですね」とか「子供が大喜びで」とか言ってもらえるとうれしいし、あげた甲斐があったというものです。お礼の苦手な人は、人に物をあげる喜びを知らない人なのかもしれません。布施することは自分にとっても喜びなのです。
月経に伺うたびに、野菜を持たせてくださる農家の檀家さんがおられます。私は恐縮至極なのですが、私が受け取るとき、その方はうれしそうな顔をされます。
お客様を手ぶらで返しては失礼だ、という儀礼から一歩進めたところに「喜び」があるのです。

写真は、「地蔵様の頭巾を縫う会」で参集された方々の奉納頭巾と前掛けです。寸法と縫い方について、トップページ左側の「お知らせ」にアップしてありますので、どうぞこしらえてみてください。