和尚のミニ法話

2024/01/25

感応道交(かんのうどうこう)するとき

当寺にお参りされる方にこのような方がおられます。お経中じっと本尊様を見つめ、しばらくすると視線を畳に落としてじっと目を閉じる。この繰り返しをされる方です。
何か心配事や不安がおありなのかと思い、「お困りの様子ですが・・・」と声掛けをしますと「いや、妻の病気が早く良くなるようにと思って。」とおっしゃいました。仏頼みをされていたのでしょうか。
数年前に宗務庁から届いたポスターの添え書きにこうあります。
『死のうと思うことはないが 生きていく力がなくなるときがある そんなときお寺を訪ね わたしはひとり 仏陀の前に坐ってくる 力わき明日を思うこころが 出てくるまで坐ってくる』(写真:会津弘安寺の十一面観音像のポスター)
修証義第三章に『此帰依仏法僧の功徳、必ず感応道交するとき成就するなり』とあります。感応道交とは衆生(私たち)の感に仏が応じてそれが交わることを言います。私たちの思いや願いや感性に仏が応えてキャッチボールが行われることです。
最初にお話しした方は、本尊様と心のキャッチボールをされていたのです。どんなボールを投げてどんなボールがかえってきたのでしょう。表情がすぐれない時は、取れないボールだったのかなあなどと思いながら、この方の前で読経しています。