和尚のミニ法話

光照寺の和尚によるミニ法話をお届けします。

和尚様和尚様2

2016/04/13

仏様の好物は

仏様へのお供えは、まずは香華灯燭(こうげとうしょく)。仏壇前机の中央に香炉(線香立て)を置き、左に花立て、右に燭台を置きます。これらを具足といい、写真のようにそれぞれ一つ置くのを「三具足」、花立てが二つ燭台が二つ計5基置くのを「五具足」と言います。特に、中央に香炉を置くことでわかるように、一番大切なお供えは「香り」なのです。仏様の大好物は香りだということです。普通は線香を立てますが、線香にもさまざまな香りのものがありますね。私は白檀系の香りが好きなのですが、人によってはきついと言われます。「ラベンダーの香り」とか「桃の香り」とかの線香がありますが、人工的な香りのものは好きではありません。
たまに、花とロウソクの位置を間違えておられる方があります。私は師匠から「砂糖桶」と覚えるのだと教わりました。仏様から見て、左に灯・右に華。つまり、さとううけ⇒さとうおけ⇒砂糖桶ということです。ところが仏様から見てというのを忘れて逆にすることがあって叱られたことがありました。
仏壇の前に座ったら、香華灯燭を弁備して、心を静かに落ち着けてから合掌してお参りいたしましょう。

2016/03/18

復興への鳴鐘

ちょっと日が過ぎましたが・・・3月11日が来ると日本は悲しみと祈りにつつまれます。そして私も鎮魂と復興へのお祈りをしました。14時46分には大梵鐘を9声撞きました。もうあれから5年の歳月が過ぎたのか。昨日のことのような気もします。あの日私は、大崎中学校の校長室にいました。卒業式も終わっていましたので3年生はいません。2年生は翌日からの修学旅行に向けて午前放課。すぐ1年生の安全を確認して帰宅させました。被害が刻々と伝わってくる中、今から考えるとよく修学旅行に行けたなと思います。新潟から伊丹まで飛行機でしたので行けたんですね。新幹線利用の学校は行けなかったり、現地で足止めをくったりしたそうですから。事の重大性は帰ってきてからのことでした。福島からの避難者が三条にもたくさんきました。大崎中学校にも南相馬から3人の生徒がやってきました。元気で明るく過ごせるようにと結構気を遣いましたが、3人ともすぐ学校に慣れて友達もたくさんできたようでした。あの3人も今は20歳です。元気でいるでしょうか。
また、避難者支援といえば大げさですが、お寺の草取りや窓拭きのアルバイトを避難者の方に頼みました。避難者も支援(布施)をいただくだけでなく、自分が役に立っている経験が必要だとニュースで知り、その通りだなと仕事を頼んだのです。翌年も来ていただきました。あの方々も元気でお過ごしでしょうか。節目の5年が過ぎましたが復興への道のりはまだまだのようです。私にできることは・・・・。とにかく心が離れないようにしていきたいです。

2016/03/06

行李の中身

智玄さんが上山して2週間。元気でがんばっているでしょうか。連絡の取りようがないので「便りのないのは良い知らせ」と思うしかないのです。ある期間が終わるまでは、こちらから電話をかけても取り次いでもらえませんし、手紙も渡してもらえません。檀家さんとの話でよく出てくるのがこのことで、ケータイも持っていけないのかと皆さんびっくりされます。お金も持っていけませんので、途中で帰ろうにも電車賃もありません。では、いったい何を持って行っているのかということですが、本山から指定されたもの以外は一切ダメなのです。本山から送られてくる「掛搭(かた)志願者心得」には、こう記されています。
〇袈裟行李(けさこうり)  首から下げる前の行李の中身は、
 ・お袈裟と袈裟袋 ・龍天善神軸 ・血脈 ・涅槃金千円 ・保険証 ・印鑑 ・ゆうちょ通帳 ・応量器(おうりょうき 食器のこと)一式 ・上山許可状 ・堂則
〇後付行李(あとづけこうり) 写真のように背中に背負う行李の中身は、
 ・坐具 ・浄髪具(安全カミソリと替え刃) ・日用品(裁縫道具、歯ブラシ、歯磨き剤、』風呂敷、白無地タオル2枚) ・替えの下着2組 ・襪子(べっす) ・足袋
と、これだけです。
蒲団類や作務衣、着物、下着、祖録書籍などはあらかじめ宅配便で送ります。この宅配便の中にケータイやお菓子などを忍ばせればとも思いますが、荷物点検があり見つかると大目玉をくらうことになります。永平寺の大目玉は相当大変な罰を受けることになりますので、親心でそっと、というわけにはいかないのです。要するに修行に不要なものは一切ダメということです。必要最低限で頑張ってもらうしかありません。

2016/02/28

「地蔵様の頭巾を縫う会」ご参加ありがとうございました。 

「地蔵様の頭巾を縫う会」は今年で2回目。1月24日の大雪で延期していましたが、2月14日に無事行いました。今年は17人もの方々から参加していただきました。皆さん一生懸命にそして楽しそうに縫っておいででした。互いに教えあう姿もありました。雪解けをまって、外の地蔵様に着ていただきましょう。

智玄さん(永平寺での呼び名は智瑛)はどうしているでしょう。上山して今日で一週間です。旦過寮を出て衆寮に入ったでしょうね。公務中(寮舎の見習いのこと)は振鈴の2時間前に起きなければなりませんので、1時起床でしょうか。大変だけれどがんばって!

2016/02/20

永平寺安居に向けて出発

2月19日、智玄上座さんが安居修行のため、永平寺へ出発しました。威儀(いでたち姿)は、写真のように、着物とお衣を短くたくし上げ(上げ手巾と言います)、脚絆にわらじを履き、行李を首からかけ、座蒲を持ち、網代笠をかぶります。まさしく雲水そのものの姿です。朝8時の出発でしたが、檀家や近所の方々など20人ほどが見送りに来ていただきました。智玄さんも気持ちが引き締まったようでした。19日午後に門前の地蔵院に入り、上山点検などを受け、永平寺には21日に上がる予定です。彼のような入門志願者僧は6~8人ずつ組になって三、四日おきに上山していきます。彼は2番上山組です。1番上山は18日に上山したようです。
山門ではこのような光景が展開されると思います。木版を3打した後、係りの僧が出てくるまでかなりの時間待たされます。ようやく出てきた僧に「この永平寺に何をしに来た!」と問われ、「修行です」と応答すると「修行とは何か」と畳み掛けられます。彼は何と応えるのでしょうね。それらしいことを述べても「その修業は永平寺でなくてもできるだろ。さっさと帰って師寮寺で修行しろ。」と一喝されます。それをなんとか食い下がって入門を請うわけです。これが第一の関門。山内に入ると旦過寮(たんがりょう)で一週間缶詰状態で朝から晩まで坐を組まされ、生活の基本をみっちりと叩き込まれます。これが第二の関門。旦過寮を出て衆寮に入り、鐘洒という鳴らしものの配役についてからも第三、第四の関門が待っています。・・・・・今頃何をしているのでしょう。がんばれ!