余寒厳しき折、いかがお過ごしでしょうか。
「TV見ましたよ。」と声かけてくださる方が大勢います。宣伝の効果でしょうか。ちょっと短すぎましたよね。撮影では私もたくさんしゃべっていたのですが、「えっ、それだけ」という感じでした。大門の大地蔵様の頭巾色あせて古くなっていたり、六地蔵様の幕が切れていたり、家内はかなり気になった様子でした。まあ、光照寺の存在を広く知らしめていただけてありがたかったです。
当地方は、今年は例年になく雪が少なく、2月というのに地が出ています。(もっとも、今朝に少し降雪がありうっすらと白くなっていますが・・・)
先日、四十九日法要の後に納骨をしました。二月のこの時期に納骨ができるなんて、例年では考えられないことです。
納骨後のおときの席のことです。お母様を見送った娘さん(もうおかあさんなのですが)が、挨拶は苦手だからと手紙をしたため、ご自分の娘さんに代読してもらいました。その中で、お母様の介護で難儀されたことや、介護を通じて感じ取られたこと、学ばれたことなどが「感謝を込めて」というキーワードで書いてありました。
そして、手紙の最後は「本日供えましたスイトピーの花言葉は『門出』『優しい思い出』です。優しかった母をいよいよ送る日に手向けます。お母さん、ありがとう。」と結ばれていました。
四十九日、納骨の節目の日を、ご自分なりの区切りをつけられ、母を花言葉で送り出す娘の心情にいたく心を動かされました。
写真は、本尊様に供えられたスイトピーの供花。
坊さんの呼び方というのは、一般の方にははなかなか難しいようです。
私ども曹洞宗では、住職のことを「方丈(ほうじょう)」と言います。一丈四方の部屋が住職の居間であることから方丈の間の和尚、略して方丈と呼ぶようになったのです。ですから、「方丈様」とか「方丈さん」と呼んでいただいてよろしいのです。というより、そう呼んでいただけるとうれしいです。
ところが、お若い方やお寺にあまり縁のない方は、この名をご存じないようで、「お寺様」とか「ご住職」とかおっしゃいます。確かにその通りなのですが、多くの方に覚えていただきたいと思っています。
(「方丈!」と呼び捨てにされる方もたまにおられます。ちょっとどうかなという気分にはなりますが・・・)
ご門徒の方は、「ご院住さま」と呼んでおられるようですね。
当山によくおいでになる業者さんで、仏具屋Hの社長さんは、「方丈様」と呼んでくださいます。仏壇屋Fの営業の方は「ご住職」言われます。「ご住職」はどの宗旨のお寺さんでも通用するからなのでしょうね。でも・・・。
ちなみに、当山には先代の住職もおりますが、「東堂(とうどう)様」とか「東堂さん」と呼んでいただきたいです。
(写真は、開山堂の天井絵の雲竜図です。けっこう迫力ありますよ。)
1月9日の夕刻からの雪は翌日・翌々日と続き、けっこうな降雪となりました。1月11日は、朝課後2時間の雪かき作務でした。後から後から降る雪で、夕方にまた1時間の作務となりました。誰かに代わってもらいたい気もするし、明日に伸ばしたい気もしましたが、道元禅師の逸話を思い出し、雪かき作務に精を出しました。
道元禅師が中国で修行しておられる時の有名な逸話です。『夏のある日、用という名の老僧が庭で椎茸を干しているところに出会いました。強い日差しが照りつけ庭の敷瓦は焼け付くような熱さです。老僧は杖をつき、頭に笠さえかぶっていません。背中は曲り、長い眉は真っ白です。老僧は一心に椎茸干しの仕事をしています。いかにも辛そうに見えました。お年を尋ねると六十八歳との返事です。そこで私は「どうして若い者に頼まないのですか。」と問うと、「他はこれ吾に非ず(他人にやってもらったら、私がしたことにならない)。」と言いました。私は、「たしかにその通りですが、もっと涼しい時にやったらどうですか。」と尋ねると老僧は、「更にいずれの時をか待たん(今やらなければ、いつやるのか)。」と答えたのです。私は自分が恥ずかしくなって何も言えなくなりました。そして修行の在り様を思い知らされた次第です。』(駒沢学園編「道元禅師の典座教訓」より)
今日は少し寒気が緩みましたが雪本番はこれからです。
写真は、定点観測(1月16日の様子)。本堂の屋根雪が落下してけっこう積もっています。
TVに出ることになりました。
BSN新潟放送の毎週金曜日午後2時50分からの「新潟名刹紀行」という短いスポット番組です。放映は、2月7日(金)です。
番組スポンサーの福宝さんの紹介で出演となりました。当寺の永代供養墓を福宝さんにお願いした縁でお話しをいただきました。
今日はあいにくのみぞれ混じりの天候でしたが、番組ディレクターさん、カメラマンさん、そしてお手伝いの方3名でおいでになり、伽藍の内外を撮影されました。
私にもインタビュー撮影があり、当寺の開山様のこと、地蔵様との縁や由来、地蔵信仰についてなどを話しました。少し緊張しましたが、「にこやかでよかった」とほめていただきました。
3分程度の短い番組ですので、どの部分が番組に使われるのか楽しみです。
檀信徒の皆様、どうぞ2月7日(金)、午後2時50分からのBSNテレビをご覧ください。
BSNは新潟の地方局ですので、県外の方は残念ながらご覧いただけません。トップページのお知らせに、撮影の様子の写真を数枚アップしますので、そちらをご覧ください。
正月三が日は年始受けや年始回りでけっこう慌ただしく過ごしました。毎年のことですが、ゆっくりと箱根駅伝を見ることもかないません。一日は地元矢田の方たちを中心に年始客が大勢来ます。酒が入ってにぎやかになります。二日は吉野屋の方たちが年始に来ます。その後、寺の方からお供を連れて年始回りに出かけます。
さて、寺年始の仕方は、年始物を持った供が玄関を開けて「ものもー。矢田光照寺年始!」と励声に言います。するとそのお宅の家人は「どーれ」と返事をして出てきます。顔を合わせた後に「おめでとうございます。今年もよろしく・・・」等々の挨拶を交わします。
「ものもー」と言うのは、「もの申す」ということです。TVの時代劇に出てくる道場破りの「たのもー」みたいなものでしょうね。「どーれ」は「どれ、言ってごらんなさい」ということです。
「もの申す」と言うのですから「どれ聞きましょう」となって、玄関内で改めて「新年おめでとうございます。」となるのです。
ところが、寺方は今でも「ものもー」と言って入っていくのですが、「どーれ」と返してくれるお宅はほぼ皆無です。数年前までは数軒あったのですが、今年は全く聞かなかったとのお供の弁です。知らない方がほとんどなのでしょうね。
さらに、お供との挨拶が終わると、外に出てきて方丈と挨拶を交し合います。向こう三軒両隣がそれぞれ玄関先に出てきますので、互いに新年の挨拶を交わしてから、家に戻ります。
これも知らない方が多く、年始物を受け取るとさっと奥に引き込まれてしまう方が多くなってきました。外にいる私は、挨拶ができずに次のお宅に行くことになってしまいます。
伝え残していきたい風習ですが、時代の流れで消えていく運命なのでしょうか。
(写真は、光照寺の年始物。今年のマッチはこの色です。)