「文殊菩薩を拝観できますか。」とか「ここのお寺に普賢菩薩があると聞いてきたのですが。」とお尋ねの方が、年が明けてからときどきございます。
「私は巳年生まれなので、守り本尊が普賢菩薩だときいて、お参りに来ました。」
「卯年の守り本尊の文殊菩薩から、守っていただこうと思って。最近いいことがないもんですから。」
一様にこのようなことをおっしゃいます。話しにくそうな方もおられるので、詳しくは聞かずに本堂に上がっていただいて、じっくりと拝んでいただきます。
当寺の本尊様は釈迦如来でありますが、その脇侍仏として文殊菩薩と普賢菩薩が並立しておられます。
脇侍仏については、「ざっくりと言いますと、水戸黄門における助さん格さんのようなものです。」と説明しています。何となく雰囲気でわかっていただけます。
文殊菩薩は卯年生まれの方、3月生まれの方の守り本尊。普賢菩薩は辰年と巳年生まれの方、4月生まれの方の守り本尊だそうです。
お参りされたい方はどうぞおいでください。私が居りましたら少し説明もさせていただきます。(当寺は拝観料はいただいておりません)
あ~終わった!
何がって? そう、お盆が終わりました。大変でしたが何とか乗り切りました。今は安堵というか達成感というか開放感というか。
8月1日~13日までの夕方の施食会、4日の新盆、13日の墓参りと墓経、14日~16日までの棚経。期間中ずっと暑いし(昨日なんか三条市で40℃ですから)もうヘロヘロ。
ですが、始まれば終わるもので無事に今日を迎えることができました。
「始まれば終わる」考えてみれば仏教の根本真理を言い換えたような言葉ですね。諸行無常でもあるし万物流転でもあるわけです。やさしく言い換えた言葉とも受け取れます。今は「終わった感」に浸っていますが、終わればまた始まるわけで、そう考えると切ないので、しばらくは放心状態でいようと思っています。
写真は、猛暑で葉が焼けたアジサイの鉢植えです。鉢植えばかりか地のものも大火傷しています。
8月4日は新盆施食会(あらぼんせじきえ)でした。新盆は所によっては「にいぼん」とも言うらしいですが、当地では「あらぼん」です。
連日の猛暑の中、当日もとても暑くお参りの方々は黒の礼服ですので汗だくでした。
法要のあとのおときが写真です。
メニューは、
平(ひら):こんにゃく、油揚、なす、南瓜、椎茸、ユウゴウ(夕顔)、人参、車麩、オクラ
木皿(きざら):ワラビのショウガ和え(わらび、人参、エノキ、キュウリ)、温室みかん
坪(つぼ):なすのクルミ胡麻和え、ブラックベリー
ごはん:地元産コシヒカリ
汁:豆腐の味噌汁
香の物:水ナスの漬物(氷で冷やして)
いかがですか。ごちそうでしょ。おいしそうでしょ。光照寺のお勝手さん方が朝から汗ふきふき調理しての大御馳走です。
光照寺のおときは、どこに出しても恥ずかしくないどころか自慢したいくらいです。ところが最近食べてくださる参詣者が少なくなってきて残念です。
次回のおときはは秋の彼岸会です。お参りに来ていただければ、おいしいおときが待っています。(お代は不要。お賽銭で結構です。)
三条市大島の果樹農家の檀家さんから桃をいただくようになりました。初物は6月の末頃でした。今年は大きくないが甘いとのこと。
私の感覚では、「桃の時期=お盆」という図式なので、桃を頂戴すると夏が来たなあと思うのです。昔は、大抵の家のお盆の精霊棚には果物が供えてありそのほとんどが桃だったと思います。そして熟しすぎて腐る一歩手前のような甘ったるい匂いが漂っているのです。私にとって桃のイメージはお盆の棚経(僧侶にとっては苦行の一つかと)と直結するのです。
ところが、桃農家さんの話では、桃の出荷は以前よりも早まっていてお盆にはほとんど終わってしまうとのこと。代わって梨やぶどうがが出回ってくるのだそうです。今日のTVニュースで、早くも南区白根でぶどうの収穫が始まったと伝えていました。
今年の棚経では桃でなく梨やぶどうのにおいを嗅ぐことになるのでしょうか。