住宅工事をしているとさまざまな方が出入りします。生コンを運んできた女性の作業員の方(今注目の土木女子「ドボジョ」です)の話です。
彼女が軒下に並べてあるモナラベンダーの鉢植えを見て、「これ何という名ですか」と聞いてきました。モナラベンダーは家内が好きで、挿し芽をしてたくさん増やしています。ラベンダーなのですがシソの仲間のようで、葉の裏が赤シソの葉によく似ています。夏の終わり頃から咲き出しますが葉も鑑賞に向いています。彼女に一通り説明した後、彼女の興味に応えたくなって一鉢差し上げようと思い、家内を呼んで選んでもらいました。女同士しばらく花談義をしていましたら、彼女が「バラを持ってきましょうか」と言います。私と家内は顔を見合わせてしまいました。と言うのは、境内にもバラの木がありピンクの花を咲かせていましたが、手入れが回らずほっておく状態でした。工事の機会に倒してしまったばかりなのです。そこへ「あげましょうか」と言われたものですから植える場所もないし上手く育てる自信もないので少し困惑してしまったのです。ですが、せっかく言ってくれる彼女に失礼で、家内はうまく断ることができないまま終わってしまいました。
「バラ持ってこられたらどうする」「いらないと言えばよかったね」「そんなこと言えるわけないでしょ」・・・というような会話をしていたら、玄関のピンポンが鳴り、家内が出たらなんと彼女がバラの花束をもっておいででした。私たちはてっきり根付きのバラの鉢植えのことだと思い込み「どうする?」などと困っていたわけですが、切り花だとは思いもよりませんでした。彼女はバラが好きで、庭にいろんな種類のバラを育てている様子でその何種類かのバラを花束にして持ってきてくれたのです。家内は大喜びでさっそく花瓶に活けていました。そして、たったさっきあげたばかりなのにすぐお返しを持ってきてくれた早さにもびっくりしました。「情けは人のなめならず」と言いますが、こんなに早く自分に巡り回ってくるとは。
仏教の根源的な考え方は因果応報です。今の自分の在り様は過去の因によるものであり、未来へ影響を及ぼすものである。自分の行いの影響力(結果)の現れ方は時間差があり、この世で結果を受けるのを「順現報受」、次の世で受けるのを「順次生受」、ずっと先の世で受けるのを「順後次受」と言います。
モナラベンダーという「因」がバラという「果」になってかえってきました。順現報受でしたのでうれしさ倍増でした。
6月13日~14日、「大本山永平寺参拝の旅」に光照寺参拝団18人で行ってきました。まずは何よりもうれしかったのは、智玄さんが元気で出迎えてくれたことでした。痩せた身体はそのままでしたが足のケガも癒えつつあるようで、笑顔に出会えてホッとしました。妻である娘も安堵したようでした。背筋がピンとした立ち姿で、言葉使いも御山の雲水らしく、檀家さん方とも談笑している様子を見て上山4か月で大きく成長したなあと実感しました。「方丈様が一番うれしいみたい」と檀家さんに言われました。
「永平寺の山門をくぐる前に、大きく深呼吸してください。俗世とのしばしの別れですからね。私の修行が始まるんだという気持ちで。」とバス降車前に皆さんにそう伝えました。そのせいか、皆さん前向きで永平寺の生活を普段経験できない貴重な場として行じておられました。上山してから入浴、薬石(夕食)、坐禅、法話、紹介ビデオ視聴、開枕(就寝)で一日を終え、翌日は4時振鈴(四九日でしたので一時間遅れの4時起床でした)、朝の挨拶を副監院老師からいただき、法堂へ出向きます。階段が多くで大変でしたが、雨がふったためか明け方の木々や庭の苔が深い緑色で感動しました。法要中、供養をお願いしてありましたので焼香に出るのですが、私の後ろから黒い雲水が一人続いてきて、それが智玄さんであることがわかってびっくりしました。粋な計らいをしていただきました。続く楞厳会の時に、監院寮添茶があり私と妻と娘は監院寮に案内され、丸子副監院老師から親しくお言葉をかけていただきました。「緊張したー」と妻と娘。(私は楞厳会に会えなくてちょっと残念。)吉祥閣での小食(朝食)はおかゆではなくごはんでした。おいしかったです。典座寮の方々に感謝です。
生活の世話をしてくれた接茶寮の雲水さん、拝観案内をしてくれた伝道部の雲水さん、監院寮の方々、智玄さんのいる直歳寮の方々ありがとうございました。檀家さん方も皆さんが「来てよかった。貴重な体験ができた。また来たい。」と言っておられました。
先日、教区のC寺様の恒規法要大般若会に随喜しました。維那(いの)という配役をいただき、本堂大間の両班位に就きました。維那という役は、大衆を指導リードする役で、法要中は挙経(こきょう:お経の題名を唱えること)、回向文を読み上げることが主な務めです。当日は付法要として合同供養上法事が一座ありました。読経中に参詣者の焼香があります。導師の脇を通って、着座している両班の寺方の前を通って焼香に出るわけですが、私は目の前を通り過ぎる方々の足元を何気なく見ていて気が付いたことは、畳の縁を踏まないように気を配っている方が数人おられたことです。女の方に多く、年配者だけでなく若い方の中にもそのような方がおられました。小さな子供さんの手を引きながら子供さんにもそのようにさせているお母さんもおられ、へえ~と感心しました。多くの方は平気で畳の縁を踏んで歩いておいででした。
昔は、特に神社仏閣や武家、商家の畳の縁には家紋が入っていて、縁を踏むことは先祖様や親の顔を踏むことと同じと考えられていて、生活のたしなみとして戒められていたようです。このような習慣は親や祖父母から言われ続けていないと身に付かないものです。「親の顔がみたい」といいますが、私は師匠からいわれてきませんでしたし、娘たちにほとんど言ってきませんでしたので、私も娘たちも平気で畳の縁を踏んでいます。他山の石として、C寺様から帰ってきた後、私だけでも踏まないようにしようと気に掛けています。
「いつまでも あると思うな・・・」と言えば、下の句は「親と金」ですが、先日のお通夜法話では、「いつまでも あると思うな この命」としてお話しをさせていただきました。
私の場合、お通夜は「無常」をテーマに進めていきます。諸行無常、万物は流転する。仏教の根源的な捉えを皆様にわかりやすくお話ししています。このときにぴったりなのが梅花流御詠歌の「無常御和讃」です。 ♪人のこの世のはかなさは・・・・で始まるこの御詠歌を導師入堂の前にCDで流します。歌詞は印刷して皆さんに配ります。そして法話の時に歌詞の意味をかみ砕いてお話しします。
いつまでも未来永劫に続かないこの命なのだから、今この時に輝かせなかったらいつ輝かせるのか。輝かせ方はその人なりです。ある程度の齢を重ねてくれば、世のため人のために輝かせることも大事ですよ。とそんな話をしています。
関東のお通夜に行ったとき、お経が終わり法話をしようと振り返ったら親族の方しか残っておらず、参列の方は食事会場に移っていてびっくりしたことがあります。新潟ではありえないのですが地方によってさまざまです。お通夜は故人との最後の別れの式ですが、人の命の在りように想いをめぐらす機会でもありますので、参集の皆さんにお話ししたいです。そこで思いついたのは、お経の前に法話をするということです。これならば皆さんにきいていただけますもんね。葬儀屋さんとの打ち合わせでそう言うと、いい手ですねと感心していただきました。
大本山永平寺御用商のN写真館より封書が届き、新到掛搭式(しんとうかたしき)の集合写真と智玄さんの上山時の個人写真が送られてきました。(振込用紙も併せて入っていました。写真が不要なら送り返せというのですが。)
新到掛搭式というのは、簡単に言えば新入生入学式です。5月1日に式があったようです。この式を経てようやく新到和尚と呼ばれるのです。2月に上山しましたがそれまでは暫到(ざんとう)と呼ばれ一人前の雲水として扱ってもらえません。集合写真には70人ほどの新到さんが写っていました。この日を迎えるまでに相当な苦労があったことでしょう。智玄さんも10㌔痩せたとか。この日を迎えられずに下山した人もいたのでしょうか・・・。胸の前で叉手をして肘を横一文字に張る智玄さんの姿を見て師匠としてとてもうれしく思いました。背筋もピンと伸びていて威儀が整ってきたように見受けられました。ようやく修行のスタートラインに立ったわけです。がんばってほしいものです。
今は制中に入りました。今日は首座法戦式(しゅそほっせんしき)です。首座和尚が第一座となって大衆一如の厳しい修行が行われていることでしょう。いろんなことを見聞きして身に付けてほしいと願っています。
明日は富山市で梅花の全国大会。光照寺の講中から8名参加します。私はバス停までアッシー君です。