和尚のミニ法話

光照寺の和尚によるミニ法話をお届けします。

和尚様和尚様2

2019/07/07

花の終わり

万物無常なのですから、花が開けばいずれ終わりもきます。手毬咲のアジサイは色が落ちてきたりしてすぐその変化がわかります。ガクアジサイは写真のように花が垂れて下を向いてくることが終わりのサインです。
このように無常という言葉には「終わり」「終焉」というイメージがつきまといますが、万物は移り変わる、ひと時も同じ状態でじっとしていない、ということが無常であるわけですから、「終わり」だけでなく「成長」もまた無常の姿であるともいえます。日々成長する若者もまた無常の体現者であります。

写真は「うたげ」の花の様子です。

2019/07/05

水やりは70分

地植えのアジサイの水やりは天候任せですが、鉢植えのはホースで水やりをしなければなりません。
本堂正面側には大鉢を中心に80鉢、自宅玄関側には育成用も含めて100鉢ほどあるものですから、水やりは1時間では終わりません。
朝課と同じくらいの時間がかかります。暑い日が続くとちょっと大変です。

写真のアジサイは「おはよう」と言う名です。この前、地におろしました。いい花ですね。

2019/07/02

アジサイの定植

永代供養墓前庭の整備を進めていますが、昨日はアジサイの定植作業を始めました。
とりあえずは大鉢6つを穴を掘って埋めこみました。はたしてうまく根づくかどうかが気がかりです。
というのも、この場所は地が悪いのです、粘土質で水はけが悪い。暗渠をすればいいのでしょうが、そこまで大々的にやれませんから、掘った穴に腐葉土を入れて埋め込みました。ダメだったら再度植えかえればいいかなくらいの気持ちでやっています。
「枝葉栄えんと欲せば、まずその根を養うべし」とはよく言ったもので、全くその通りです。
先代住職が法事の法話でよく言っていたことを思い出します。祖先供養はその家の根を養うことであると。
アジサイのように替えのきくものはいいですが、人間のこととなると替えがききませんから大変です。

2019/07/01

「はい」か「YES」か「喜んで」

教員仲間の会合に行った際のこと。閉会の挨拶を急に依頼されたOさんが壇上で発した一声が、
『「はい」か「YES」か「喜んで」ですので挨拶を申し述べます。・・・』でした。
なるほどなあ、うまいこと言うもんだな、と感心しました。きっと先輩から「人にものを頼まれたときは、「はい」か「YES」か「喜んで」で引き受けるのだ」と教えられてきたんだろうなあ、後輩にもそう教えてきたのだろうなあと思いました。
きっと昔からあった言葉なのかもしれませんが、私の現職時代には聞かなかった言葉でした。
私もそうありたいと思いますが、「なんで私が」とか「別の人に」とかが先に浮かんで、逃げ腰になってしまうことが多かったなと反省しています。そここうしているうちに、人に頼まれること自体が減ってきていますが。

今朝のアジサイ
「スパイクピンク」花びらにフリルのついた可愛らしいアジサイです。「スパイクブルー」もあります。
 

2019/06/29

今朝のアジサイ

鐘楼堂の裏手車庫側の様子です。青と白の手毬咲き。青手毬は早咲きでかなり前から咲き出しました。白手毬は今がちょうど最盛期です。
この場所は鐘楼堂の屋根からの落雪が多く、冬季は雪の下敷きになってしまうのですが、今冬が小雪だったせいか大きく育ってたくさんの花をつけました。