写真:開花具合 今日の様子です。写真手前の5号鉢はかなり開花が進んで見頃です。写真中央の大鉢は品種によって開花はまちまちです。でも、それはそれで楽しめると思います。
当寺を紹介していただいた昨年の三條新聞の記事にはこうあります。『あじさいは同じ一つの花でも、咲き始めや、咲いている最中など、それぞれの過程で花の色が異なる。それを見ていると、人間も年を取ったら取ったなりの美しさやたたずまいがあると感じさせてくれる。それがあじさいの魅力の一つ』
そうすると今は、前途有望は若者のようなもので将来楽しみな様子です。見頃にはまだ早いとかもう少しとか言いますが、今は今で十分楽しめると思いますので、若い花の魅力を味わいにどうぞおいでください。
山内の者に断らなくても結構です。いつ来てもいつ帰っても結構です。
写真:今日の三條新聞に当寺の広告が載りました。永代供養墓の広告がメインなのですが、「あじさい百種」もちゃっかりと宣伝しました。どれだけの方の目にとまったことか。今日来山された方は「新聞は読んだが広告は気が付かなかったなあ」とのことでした。まあ、ちょっとでも、どなたかからのリアクションがあればとおもっていますが・・・。
「草取り作務」の思い出です。旦過寮を出て最初の作務が草取りでした。山門から法堂までをきれいにという指示でしたので、張り切って取り始めました。あらかた目ぼしい草は取り終わって休憩かなと思いきや、誰一人休む者はいません。他の修行僧はよく見るとほんの小さな、生えたばかりのような草まで丁寧にむしり取っているのです。私の感覚では「草」の範疇に入らないようなものまでとっているのです。そんなゴミみたいなものなど取らなくとも十分奇麗なのに・・・と思いましたが、暫到ぺーぺーの身としては右習いをして再び取り始めました。その日は午後からも草取りで延々と取り続けました。もう疲れて疲れて本当につらかったです。私の取った跡は他の人に比べてあまり奇麗ではありませんでした。
後で古参和尚に言われました。「きれいにしようと思って草取りをするのではない。草があるからだだとるだけなのだ」と。そうは言われても、当時は本当に草取り作務が嫌でした。