ここ数日更新が滞っていました。数日間に感じたことを徒然に・・・
20日から三日間降り続いた雪は、最深時には50㎝にもなりました。毎朝夕に雪かき作務をしていました。駐車場は機械除雪を1回お願いしましたが、除雪する後から降り積もります。裏山工事の方々の手作業除雪や車の出入りで何とか駐車できる状態でした。そんな中の24日の坐禅会。参禅者は少ないんだろうなという私の予想を裏切ってレギュラー陣6人がおいでになりました。「日曜の朝は習慣になっているので」とか「お寺に来るのが楽しみで」とか「自分の修行ですから」とかの声。私は彼らを少し見くびっていました。ごめんなさい。彼らは立派な求道者です。
年末の大事な時にプリンターが故障しました。大急ぎで修理を依頼すると、年末年始はメーカーも休みで、状態によっては1月かかるかもと言われました。近所の檀家さんにUSBを渡して印刷してもらおうと思っています。(今もこの原稿を打っていたら突然再起動になってしまったし。再度打ち直ししています。)災難は突然やってきます。リスク管理は大事ですがリカバリーの方法を実行する力も大事だと痛感しています。
22日は冬至でした。日の長さが最も短くなる日。陰が極まって陽に転じる日ということから、冬至を目出度い日という捉えもあるようで、道元禅師も「冬至大吉」とした法語を残しておられます。今日で畳の目6つ分の日が長くなりました。少しずつ少しずつですね。
隣家のお父さんが山から青竹をを切ってこられました。正月の準備です。当寺も準備を始めねばと、少し気ぜわしく感じています。
写真;僧形文殊菩薩で「聖僧様(しょうそうさま)」と言われています。僧堂に祀られ坐禅修行者を護る仏さまです。
寺同士の手紙のやり取りでは、その文言にかなり気を遣います。丁寧語、謙譲語、尊敬語など普段使わないような言葉が多々登場します。
以前S寺様からこのような案内文をいただきました。
『拝啓 ・・・(時候の挨拶)・・・ 陳者卑山儀 本年は教区の○○忌当番を拝命するにあたり、下記の差定で○○忌を営弁致したく、ご法務多瑞の折柄誠に恐縮至極乍ら御随喜御焼香賜りたく御案内申し上げます。本来ならば拝登の上御願い申しあぐるべき処略儀乍ら本書を以て伏してお願い申し上げます 敬白』
いかがですか。凄い文面でしょ。でも、このくらいがお寺間では普通で当たり前の手紙なのです。一般の方にはちょっとどうかと思われるでしょうが、感覚的にはやりすぎですよね。こういう事の積み重ねで、僧侶が自分は学がある、才があると勘違いして、段々と威張り気味になってくるのかなあと思います。お寺は敷居が高いと思われる所以、遠因の一つなのかなあとも思います。
かと言って、あまりにも簡単で手抜きされるのもどうかと思います。先日、ある会合の案内を「今言ったから手紙はいいでしょ。」と主催者に言われました。大事な会合なんだからそんなに手抜きしないでくれとお願いしたら、じゃあメールかラインでいいですかと言われ困惑しました。
丁度いい伝え方って難しいですね。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」、「帯に短くたすきに長し」そんな感じです。
写真:雪が降る前の工事の様子 アンカーを打ち込んでいます。今は雪があるのでちょっと大変そうです。
昨日の日曜日は、朝6時から坐禅会(参禅者は6名)。10時から護持会の決算役員会。いりいろ多岐にわたって話題や質問がでましたが、三役提出の議案は可決。檀家の皆様には後日お届けします。
坐禅会の時は小雨模様でしたが、役員会が終わる頃はうっすらと白くなっていました。午後から雪がぼさぼさと降り始め、今朝は15センチ位の積雪でした。朝課を省いて今冬初の雪かきをしました。水雪というのか水分をたっぷりと含んだ重たい雪でしたので疲れる作務でした。
いよいよ雪国の生活の始まりです。法要で言えば、法要開始を告げる殿鐘(でんしょう)の打出しが鳴ったようなものですね。打出しは、中声・中声・小声・大声と打ちます。この後第一会、第二会、第三会と続き、導師の上殿となっていきます。天気予報では今週はずっと雪マークが出ています。これが第一会でしょうかね。まだまだ先は長そうです。
写真でお気づきのように、本堂屋根の落雪が危険ですので雪の時期は本堂からの入堂はできません。庫裏の玄関からお入りください。また、早々に門松が設置されました。ますがたクラブ(総合型地域クラブ)親子門松づくり活動があり主宰のHさんがお寺用に特別に作ってくださいました。毎年のことです。ありがとうございました。
ご門徒の方から「私の家は真宗の大谷派だけれど、禅宗でも○○派とかあるんですか?」と聞かれました。私は即座にNOと答えました。「本山は永平寺と總持寺の両方ですので永平寺派だとか總持寺派だとかいう人がいますが、その僧侶がどちらの本山で修行したかということであって派として分かれていないんですよ。」と言うとへえーと不思議そうな顔でした。「ほら今、自民党の裏金問題で派閥のパーティーとか言っているでしょ。派閥というのはどうしたもんなんでしょうね。必要だとはおもうけど。」彼はこの話題をしたかったようでした。
ある時、別の門徒さんで「永平寺派と總持寺派のお寺さんが一緒に法要をするなんてありえない」と強く言われる方がありました。「お西とお東が一緒にお経をあげるなんて絶対ない。まして本願寺派が混ざるなんてことあるわけない。」と頑としておっしゃいますので、(私は不在でしたので家内が)誤解を解いてもらおうと説明しましたが、どうも釈然としない感じのようでした。
人が集まればグループができる。考えの近いもの同士が仲間の結束を固める。これが派閥の始まりでしょうか。行き過ぎると他のグループを排斥したり敵対視する。人は社会的な生き物と言いますが、宿命なのでしょうか。
修証義第四章に「海の水を辞せざるは同事なり」とあります。グループを組んでもいいけれど、同事(差別しないこと)でありたいです。
写真:あじさいの鉢に板を当てました。雪対策です。今週末に雪マークが出ていますので今日ようやく作業しました。(本文とは関係ありません)
昨日、一日接心坐禅会を無事修行することができました。坐禅は暁天も含めて7炷。普段坐りなれていない身としては、少しきつかったかな。総勢12名の参禅でした。
それにしても当寺の坐禅会のメンバー恐るべし。ほぼ毎週お見えになるレギュラー陣(!)全員が何らかしらの形で参禅されました。最初から最後までフルの参禅者は5名も。一旦お帰りになって再び来られた方も2名。
最後の晩課を終えてのお茶飲みでは、互いの健闘!をたたえ合い、不思議と団結というか家族の一員というかそんなムードが漂いました。同安居の絆というにはおこがましいですが、何かそれに近い感覚を皆が持たれたようです。(同行御和讃の歌詞が浮かびます。)私もいい修行をさせていただきました。一人ではなかなかこうはいきません。今さらながらですが、達磨大師の面壁九年というのは凄すぎます。
写真:当寺名入りクリアファイル その2です。接心はまさしく只管打坐(しかんたざ)です。