寺同士の手紙のやり取りでは、その文言にかなり気を遣います。丁寧語、謙譲語、尊敬語など普段使わないような言葉が多々登場します。
以前S寺様からこのような案内文をいただきました。
『拝啓 ・・・(時候の挨拶)・・・ 陳者卑山儀 本年は教区の○○忌当番を拝命するにあたり、下記の差定で○○忌を営弁致したく、ご法務多瑞の折柄誠に恐縮至極乍ら御随喜御焼香賜りたく御案内申し上げます。本来ならば拝登の上御願い申しあぐるべき処略儀乍ら本書を以て伏してお願い申し上げます 敬白』
いかがですか。凄い文面でしょ。でも、このくらいがお寺間では普通で当たり前の手紙なのです。一般の方にはちょっとどうかと思われるでしょうが、感覚的にはやりすぎですよね。こういう事の積み重ねで、僧侶が自分は学がある、才があると勘違いして、段々と威張り気味になってくるのかなあと思います。お寺は敷居が高いと思われる所以、遠因の一つなのかなあとも思います。
かと言って、あまりにも簡単で手抜きされるのもどうかと思います。先日、ある会合の案内を「今言ったから手紙はいいでしょ。」と主催者に言われました。大事な会合なんだからそんなに手抜きしないでくれとお願いしたら、じゃあメールかラインでいいですかと言われ困惑しました。
丁度いい伝え方って難しいですね。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」、「帯に短くたすきに長し」そんな感じです。
写真:雪が降る前の工事の様子 アンカーを打ち込んでいます。今は雪があるのでちょっと大変そうです。