「なるなるの法則」つながりで・・・・。
正月の年始物として当寺の名入れのクリアファイルを作りました。3枚組で写真はその中の1枚。菩提達磨和尚(達磨大師)の横姿に「結果自然成」の文字。そして「成るように成る」と。まさしく「なるなるの法則第1条」です。
禅語「結果自然成」は達磨和尚が弟子に伝えたとされる言葉で、本来は上語にもう一言「一華五葉開(いっけごようをひらき)」が付いています。
「一華五葉開 結果自然成」。「一つの花が厳しい気候に耐え、時期が来れば五枚の葉を開くように、何事にも精一杯取り組んでいれば、その結果はおのずと思うように成るものだ」と言う意味です。
私たちの日々の生活で、様々な岐路に立たされるとき、一華五葉を開いていれば、つまりやるだけのことを精一杯してきていたのなら、結果は自然と成るのです。その結果はどのようなものであれ受け入れることです。思っていたのと違う!と反発もあるでしょうが、それが今の自分にふさわしいのだと受け入れるのです。
「人事を尽くして天命を待つ」の感覚に近いかもしれませんが、ちょっと違います。天命は神様や仏様の御示しで自分の為してきたことの結果ではありません。「結果自然成」は自分の為してきたことの結果であるということです。「三日坐れば三日の仏」という言葉もあります。日々、仏になるべく修行です。
今日の新潟日報県央版の「こしじガイド」に一日接心坐禅会の内容が載っています。
一日接心坐禅会まで一週間。よろしければ一緒に坐りませんか。詳細はトップページ左側のお知らせより。
前回「ジャネの法則」を紹介しましたが、今回は法則つながりで「なるなるの法則」です。この法則の提唱者は新潟のラジオパーソナリティー遠藤麻理さん。もう十数年も前のことですが、(今は閉局した)FMポートの朝の番組「モーニングゲート」で彼女が良く言っていました。
「なんとかなる」「なるようになる」「なんとでもなる」。これが「なるなるの法則」。ラジオではリスナーさんから「この言葉で元気が出た」とか「今日一日がんばれそう」とか「切なさや苦しみを別の角度から見れるようになった」などの声が寄せられていましたっけ。私は遠藤さんの少し毒のある語りが好きで、毎朝通勤時に聞いていました。すっかり麻理さんファンでした。確かに自分の足跡を振り返ってみると、なんとかなっていましたし、なるようにもなっていました。なんとでもなるよって人にいえるようにもなっています。これからもそんなふうに生きていけるような気がしています。
よく考えてみると、「なるなるの法則」にはその前提として、「精一杯生きていれば」とか「自分のできるがんばりをすれば」とかがあるような気がします。「なるなるの法則」があるから大丈夫、と何にもしなければ、何ともならないと思います。
さあ、「なるなるの法則」呟いて今日を元気に過ごしましょう。
似て非なる言葉に、かの上杉鷹山の「為せば成る。為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」が思い浮かびますが、こちらはかなり厳し目ですよね。
写真:新潟日報の広告に遠藤さんのサイン会のお知らせがありました。新刊本出されたのですね。益々ご活躍のようで。
今日から12月。いよいよ臘八接心の始まりですね(本山や修行道場では)。当寺では12月10日にまとめて一日だけの接心を修行します。朝食(お粥)は予約必要ですが、坐禅と諷経は予約不要です。どうぞお好きな時に来てください。
特に年末に近づくにつれ、1年は早いもんだと痛切に感じます。年配の方のどなたでもそうおっしゃいます。若い頃はそうは思わなかったんだが、年をとったら段々とそう思うようになって・・・って。
この感覚は日本人特有のものでなく、洋の東西を問いません。そして現代人特有でもなく、ずっと昔からある感覚のようです。というのは、19世紀のフランスの心理学者ジャネによって学問的に説明されていて、1年の感覚は、10歳の子は自分の人生の10分の1の時間と感じ、90歳の人は90分の1の時間と感じるというのです。ですから感覚的に90歳の人はあっという間に過ぎると感じるのだそうです。これを「ジャネの法則」と言うのだそうです。(ちょっと説明がへたでした。ググって調べてみてください)
月日の経つのが早いと感じるのであれば、なおのこと「出し惜しみしない」で、「いま、ここ、このこと」を大事にしないといけませんね。
ジャネの法則は「じゃねえの法則」ともいう人がいて・・・(笑)
写真:初雪?いえ、初あられです。11月30日の早朝。本堂屋根の下。