和尚のミニ法話

2024/01/04

雑草と雑音

令和6年、新春を寿ぎ皆様のご多幸をお祈りいたします。
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さて、坐り納めの12月31日の坐禅会後の茶話会での話題の中から。「坐禅をしていると音に敏感になる」という話があり、鳥の音、雨の音、戸を開ける音、車の止まった音・・・・。「いろんな音があるがそれぞれの音を味わうことができるようになった」とSさん。「除夜の鐘が近所のうるさいという苦情から、昼や夕方に時間移動したり取り止めたりしているお寺があるとか」とCさん。「大梵鐘の音は気持ちが落ち着いて好きだけどねえ」とMさん。「あの音をうるさいというのだからどうなっているんだろうね」とNさん。結局は受け取る側の問題で、美音にも雑音にもなるのだということで話は一区切りつきました。「雑草と言う名の草はない」と言うのと同じで、「雑音という名の音はない」ということなのでしょう。音そのものを楽しんだり味わったりしたいものですが、その心の余裕が足りてないのでしょうね。坐禅中はその余裕を持てますよ。(足が痛くてそれどころでないという時もありますが・・・)

写真:元日の本堂正面