和尚のミニ法話

2024/02/06

相手とともに自分を生かす

前々回に紹介した禅語「柳緑花紅」の続編です。本堂の襖にはもう一句「明月清風」とあります。春の禅語に対して今度は秋の語です。
この句は本来「清風拂明月 明月拂清風」(せいふうめいげつをはらい、めいげつせいふうをはらう)という言葉です。拂うは払うとほぼ同義と考えてください。秋のすがすがしい夜、風は月を払い、月は風を払う。つまり風と月はどちらが主体でどちらが客体ということはない。互いに主となり互いに客となっているというのです。互いが互いにいい影響を与え合い、時として一体となり時として個別になる状態とも言えます。さらに言えば、風と月は対立しあうようなものではありません。風が月を払いのけ自分だけの夜としない。と同時に、月は風を払いのけ自分だけ輝こうともしない。うーん、わかったようでわからない、まさしく禅問答!
敵か味方か、善か悪か、というような二元対立ではありません。自分の懐に相手を呼び込んだり、相手の懐に自分が飛び込んだりしながら自分というものを生かしていく。これが禅的な生き方なのです。とりあえず相手とともに生きるために「オレがオレがの【が(我)】を捨てて・・・」から始めたいと思います。