和尚のミニ法話

2017/09/13

「きょういく(教育?)ときょうよう(教養?)

「若いころと違って年をとると体はきかなくなってくるし頭は弱ってくるし・・・。特にすることもないもんだから一日中テレビを見たりボヤっとしていることもあって、ボケなきゃいいけど。年は取りたくないもんだね。」高齢の方との話でよくでてくる話題です。
こんな話を聞きました。「年をとってから大事になるのが「教育」と「教養」です。教育は『今日行く』、教養は『今日の用』のこと。つまり、今日行く場所があって、今日する用事があること。この二つがあれば簡単にボケることはありません。」
なるほど!うまいこと言うもんですね。畑仕事や田んぼの仕事のある人や趣味のある人はいいですが、することのない人もいるようで、家にいると邪魔扱いされるので、市の図書館に行く人も大勢いるようです。中には開館時間前から並んで待っている人もいるとか。男の方が多いようです。「今日行く」場所がないから図書館で暇つぶしなのか、一日中新聞を隅から隅までじっくりと呼んでいく人もいるとか。その方にとっては重要な「今日行く」と「今日用」なのでしょう。
私の一日は、朝は5時に本堂に行って暁天坐禅と朝課。粥罷(朝食後)は檀家さんの月参り。帰山してから薪割りや草取りの外作務。夕方晩酌してさっさと寝る。これが私の「今日行く」と「今日用」です。僧侶はありがたいですね。やることがあって。雨の日は外作務ができなくてちょっと困っています。(冬になれば雪かきができるのですが)
法事の法話でときどきこの話をします。「皆さん、今日法事に来れてよかったですね。行く場所もあったし行く用事もあったしね。」と。