和尚のミニ法話

2016/06/08

畳の縁を踏まない

先日、教区のC寺様の恒規法要大般若会に随喜しました。維那(いの)という配役をいただき、本堂大間の両班位に就きました。維那という役は、大衆を指導リードする役で、法要中は挙経(こきょう:お経の題名を唱えること)、回向文を読み上げることが主な務めです。当日は付法要として合同供養上法事が一座ありました。読経中に参詣者の焼香があります。導師の脇を通って、着座している両班の寺方の前を通って焼香に出るわけですが、私は目の前を通り過ぎる方々の足元を何気なく見ていて気が付いたことは、畳の縁を踏まないように気を配っている方が数人おられたことです。女の方に多く、年配者だけでなく若い方の中にもそのような方がおられました。小さな子供さんの手を引きながら子供さんにもそのようにさせているお母さんもおられ、へえ~と感心しました。多くの方は平気で畳の縁を踏んで歩いておいででした。
昔は、特に神社仏閣や武家、商家の畳の縁には家紋が入っていて、縁を踏むことは先祖様や親の顔を踏むことと同じと考えられていて、生活のたしなみとして戒められていたようです。このような習慣は親や祖父母から言われ続けていないと身に付かないものです。「親の顔がみたい」といいますが、私は師匠からいわれてきませんでしたし、娘たちにほとんど言ってきませんでしたので、私も娘たちも平気で畳の縁を踏んでいます。他山の石として、C寺様から帰ってきた後、私だけでも踏まないようにしようと気に掛けています。