和尚のミニ法話

2015/03/11

3.11 菩薩に出会う

今日は3月11日です。大震災からもう4年も経つのですね。私は特に何をすることもできないので、「宗門の呼びかけ」に応じて二つのことをします。一つは追悼法要を行うこと。ですが特に大々的に法要を行えないので、朝課で追悼供養を一座勤めました。二つ目は地震発生時刻の14時46分に大梵鐘を9声撞くことです。被災地の一日も早い復興を願います。そして犠牲となられた尊い命に哀悼の意を表します。

曹洞宗報の以前の号に「菩薩に出会う」と題した随想が載っていました。福島県のあるご住職の文章です。一部紹介させていただきます。
『東日本大震災より一年半が過ぎようとしています。あまりに過酷な現実は人間にとって不条理の極みでした。納得できない苦しさは怒りとなっていつも胸の奥にあります。そんな中で菩薩のような人に出会うと、心の澱みが分解され、生きる光となります。 ・・・中略・・・ 津波の後、子ども二人と避難していた三十代の父親Yさんは、道路脇で果物を売っている女性に出会いました。こんな中でも商売かという思いがよぎりましたが、何も食べていない子どもたちのためにと思い、「おばさん、リンゴ三つ頂戴」と言いました。「三百円。その手提げ袋貸して」と言う女性に三百円と子どもの大きな手提げ袋を渡すと、女性は「ひとつ、ふたつ、みっつ、」とリンゴを入れ、続けて「みっつ、みっつ、みっつ、みっつ・・・・・・・・」と全部で十個のリンゴを袋に入れました。「子どものためだったら親はなんでもでぎる、頑張んだよ。」
恐怖の中、Yさんは温かい思いを胸に避難所にたどりつくことができました。』

Yさんはうれしかったでしょうね。手を合わせて拝んだことでしょうね。
自分のまごころから出た行為や言葉が、時として、相手に対しての菩薩となることがあります。
私も、この女性のような人に出会いたいと思うし、このような人になりたいと思います。

写真は、当寺の大梵鐘です。雲洞庵石龍禅師の銘が入っています。