「終活」の社会現象化にともない「墓じまい」が問題というか話題になってきています。拙寺のような檀家の少ない寺でも去年から今年にかけて4件の墓じまいがありました。1件目は遠地にお住いの檀家さんが地元に霊園を求めて新しい墓を建立したいので墓を引き上げるというもの。併せて離檀となりました。子の世代になると寺との関係も薄くなってきて致し方なしです。2件目、3件目は子がおらず後継ぎがいないので、いずれ墓の守り手がいなくなるので、当寺の永代供養墓に先祖のお骨を収め、自分もいよいよの時には一緒に永代供養墓に入ろうというものです。これも適切な選択であろうと思います。というかご自身が生前のうちに懸案事項を解決してくださったのでご立派とも言えます。そして4件目は嫁に行った娘さんが実家の後始末として墓じまいをしたというものです。高齢のお母様の一人暮らしでしたが、娘さんのご主人の理解もあって、娘さんご夫婦が一切の面倒を見てくださいました。立派なお墓が自宅の敷地内にあったのですが、この機に墓じまいをして当寺の永代供養墓に納骨するというものです。この娘さんのように後の面倒を見てくれる人がいればまだよいのですが、この後どうなるのだろうと心配になるお宅もあります。
永代供養墓を建てておいてよかったと思います。いよいよの時にはお寺の供養墓に入ればよいと安心してもらえますから。
「終活」にはお墓の問題は避けて通れません。散骨や樹木葬は私は反対です。自分はどうなってもよいとおっしゃいますが、残された人、お参りをしたい人にはお墓という対象物が必要だと思うからです。