暖かくなってきました。県内でも、桜の開花のたよりがありました。外で陽光を浴びるのは気持ちのよいものです。外で行う作務も、冬の雪かき作務から草取り作務、花壇づくり作務、山掃除作務へと変わってきました。昨日は樹木の冬囲いを外したり、花壇の畝を整えたり、外でたっぷりと汗をかきました。
禅修行にとって、作務(労働)の重要性はことのほか特筆されます。座禅や読経と同じくらい作務は修行そのものであると言えます。
作務に関しては、百丈懐海和尚(ひゃくじょうえかいおしょう)に有名な逸話があります。
百丈禅師は中国唐代の禅僧で、作務を修行の一環として重視しました。今に至る禅門の伝統をつくるきっかけとなったのが有名な「一日不作、一日不食」(一日なさざれば、一日食らわず)という言葉です。
百丈禅師は老齢になっても鍬や鎌を手にして畑の作務を率先して行っていました。弟子たちは師の高齢の身体を心配して、作務を休むようにお願いするのですが、百丈はいっこうにやめようとしません。そこで弟子たちは師の鎌や鍬などの道具を隠してしまいます。百丈は仕方なく居室に戻られたが、この日から食事に手を付けようとはされなかった。弟子たちが心配して訊ねたところ、「一日不作、一日不食」とこたえられた。
この語の本質的な意味するところは、「働かざる者、食うべからず」ではありません。作務は修行としての仏法の行為であるから、その行いができないことは命をいただいて「食べる」という行為をすることに値しないということです。
まことに厳しい教えです。
写真は、本堂前の路地に咲き始めた水芭蕉の様子です。